三島由紀夫と太宰治――「嫌悪」の根底にあったものとは?

三島由紀夫と太宰治――「嫌悪」の根底にあったものとは?


三島由紀夫と太宰治。日本近代文学を代表する二人の作家ですが、その間に友好関係は存在しませんでした。むしろ、三島由紀夫は太宰治に対して、強い反発と嫌悪の感情を抱いていたことが知られています。

この「嫌い」という感情がどこから来たのか、単なる性格や思想の違いによるものと片付けるには惜しい深さがあります。私は、ある人が「三島は太宰の中に、自分の中にある“嫌な部分”を見てしまったのだろう。つまり、これは“近親憎悪”に近い感情だったのではないか」という見解に、深く共感を覚えました。

この記事では、三島由紀夫が太宰治をなぜこれほどまでに嫌ったのか、その背景にある心のメカニズムを、丁寧に探っていきたいと思います。

全く異なる文学スタイルと人生観
まず、両者の作風や価値観を比較してみましょう。

太宰治は、「人間失格」「斜陽」などの作品に代表されるように、自分の弱さ、醜さ、どうしようもなさを赤裸々に描き続けた作家です。彼の作品は、自己否定と絶望に満ち、それでいてどこか読者の心を救う不思議な魅力を持っていました。人間の本質的な弱さや、社会にうまく適応できない者の痛みを、文学という形で昇華させた存在だったとも言えます。

一方の三島由紀夫は、圧倒的な美意識と規律を重んじ、精神と肉体の鍛錬を通じて理想の自己像を追い求めた作家でした。彼の代表作である「金閣寺」「仮面の告白」などにも、繊細な内面世界は描かれていますが、それはあくまで「美」という理念のもとに統御されるべき対象でした。

つまり、太宰は「弱さをそのまま受け入れる」文学を生み出し、三島は「弱さを乗り越え、美によって昇華させる」文学を追求したと言えるでしょう。この違いは、互いの文学思想が根本から相容れないことを意味します。

三島由紀夫の太宰嫌い
三島由紀夫が太宰を公然と批判していたことは、様々な場面で記録されています。
三島由紀夫はエッセイ『小説家の休暇』において、太宰治の生活態度や文学姿勢を批判しています。
「太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。」 ​

その他1946年12月14日、三島由紀夫は太宰治と直接対面し、その場で以下のように述べたとされています。「ぼくは、太宰さんの文学は嫌いなんです。」 ​
この発言に対し、太宰治は「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか。」と返答したとされています。

近親憎悪――自分の嫌な部分を他人に見たとき
三島由紀夫は外見的には完璧主義者であり、美の体現者でした。軍隊のような鍛錬を好み、自己統制を誇りとする彼にとって、太宰のように「だらしない生き方」「死に場所を求めてさまようような感傷的な態度」はまさに真逆の存在です。

しかし、その「真逆」であるがゆえに、三島はそこに「自分の中にも存在しているが、目を背けたい部分」を見てしまったのではないでしょうか。

三島の作品にも、たびたび自己嫌悪や死への憧れが登場します。彼自身、非常に繊細で、孤独に悩み、現代社会に適応しきれない内面を抱えていたことは間違いありません。ただし、三島はそれを「筋肉と思想」「美と行動」によってねじ伏せようとした。一方、太宰はそれに抗わず、むしろ寄り添って生きた。

まるで鏡を見るように、太宰の姿に三島は自分の「可能性としての弱さ」を見出した。そしてそれを激しく否定することによって、自らの立場を守ろうとしたのかもしれません。これこそが、近親憎悪――「似ているからこそ許せない」という人間の根深い心理なのです。

対照的な「死」の選び方
皮肉なことに、両者はともに自ら命を絶っています。

太宰は1948年、愛人とともに玉川上水で入水自殺を遂げました。死に場所を求めるように、人生の終わりまで「逃避」と「絶望」に彩られた生き方だったと言えるかもしれません。

それに対して三島は、1970年に自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を敢行。美意識と思想を最後まで貫いた、劇的で象徴的な最期でした。彼にとって「死」は敗北ではなく、むしろ「完成」であり、「自己表現の最終形」だったのです。

このように、死の選び方にさえ二人の思想の違いがにじんでいます。けれども、そこに共通するのは「生きづらさ」と「現代社会への違和感」だったのではないでしょうか。

終わりに――二人を通して見る「人間の本質」
三島由紀夫が太宰治を嫌ったのは、太宰の生き方や文学観に根本的な反感を抱いていたから――それは確かに事実でしょう。しかし、その裏には、「似ているからこそ受け入れられない」という、もっと切実で人間的な感情があったのではないか。私はそう感じています。

太宰は弱さをそのまま見せることで人々に寄り添い、三島は弱さを克服しようとする姿勢で人々を魅了しました。どちらが正しいという話ではありません。ただ、二人の対照的な生き方が、私たちに「人間とは何か」を改めて問いかけてくれているのです。

そして、三島が太宰に感じた「近親憎悪」は、私たち自身が他人に対して抱く嫌悪や拒絶の根底にもある感情かもしれません。だからこそ、三島と太宰の関係は、今なお多くの人の関心を集め、文学の枠を超えて語り継がれているのでしょう。

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